祈りの8月

祈りの8月、なんて言葉をよく聞きます。
日本人にとっては戦争の記憶が、8月に呼び起こされるからでしょう。
でも祈りは8月だけのものではありませんね。
祈りとは何か、どうやって祈るのか、誰に何に対して祈るのか、祈ることでどのようなことがおきるのか、ヴェーダーンタで教えてくれる祈りは、「祈りの理論」とも言われます。
そういった一連の祈りの生活のなかで、人間であるわたしたちが、日々祈りを続けられるようには、食べること、食べないこと、の理解が必要です。
食べること、食べないことに代表される何かをするときの判断力、認識力、識別力というものが常に、人間であるわたしたちにできることなので、備わった意思なので、やるかやらないか、できるかできないか問われます。
一挙一動に、吸う息吐く息に、毎秒毎秒に、判断と認識が誤らないように、ダルマに沿った行いができるように、と注意しながら、自分に自分を問いながら、それがそのまま祈りになります。
なぜならば、この宇宙のダルマと調和する生き方を、ヴェーダーンタでは教えていて、それがすなわちマインドも整い、幸せであるということなのです。
わたし、ダルマに沿って、誰も傷つけずに今日も暮らせますように。
そしてわたし以外の人もそうありますように。
毎日の祈りはシンプルです。
何に対して、誰に対して、どうやって、何のために、祈るのか、
それを知っていたら間違いはおきません。
戦争も。
だから、戦争は二度と繰り返しません、
のあとに、人間はダルマに沿って
暮らせるようになる未来を、もう学びましたから。
と付け加えたいです、